12月 05 2018

2004年の中越地震を経験しました。日時は10月26日、午後5時56分頃だったと思います。すでに外は真っ暗な状態だったので、部屋の明かりを点けていました。ちょうどラジオを聴き終わって、これから夕食にしようと思っていた矢先に、突然大きな揺れを感じました。それからは立っていられないほどの大きな揺れになり、私はとっさにテーブルの下に隠れました。しかし、揺れがかなりひどかったので、テーブルごと吹き飛ばされてしまいそうでした。

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最初の本震が終わって、ホッとしたのもつかの間、すぐに次の揺れがやってきました。大きな揺れが3回連続でやってきたので、このままでは家が潰れてしまうと思いました。私はこの時、アパートに住んでいたのですが、何度も大きな揺れがあり、家の中にいる方が危ないと思いました。

すると、外から人の声や悲鳴声などが聞こえてきました。すでに多くの人が外に出ていると思いました。頭も中が真っ白になり、何をどうすればよいのかわかりませんでした。しかし、とりあえず身の安全が最優先なので、家の外に出ることにしました。外に出たら、同じアパートの住人や近所の人たちが外に出て、建物の揺れを心配そうに見つめていました。

その後も立て続けに余震がやってきたので、電信柱のそばは危ないと思い、除けて安全なところにいるようにしました。とにかく身内に連絡をしなければと思い、携帯電話で電話をかけようと思いましたが、全く繋がりませんでした。何をしたらよいのか分からないまま、しばらく茫然とその場に立ち続けていました。

電話は繋がりませんでしたが、メールは何度かトライしたら、ようやく繋がりました。そこで、今の自分の状況を伝えるとともに、他の場所がどうなっているのかわからなかったので、メールで確認しようと思いました。しかし、私が住んでいる場所よりも震源地に近い実家には、電話もメールも繋がらない状態で、全く連絡が取れませんでした。県外に住んでいる身内と何とかメールでのやり取りができたので、それだけでも心強く感じました。

災害グッズはまったく用意はしていなかったのですが、幸い、私が住んでいた地域は電気が止まりませんでした。しかし今夜はアパートには居られないと思い、近くの避難所に避難することにしました。そこで、一旦アパートに戻り、毛布や炊いたばかりのご飯、後は最低限の必要なものを持って避難所へ向かいました。同じアパートの隣に住んでいる人と一緒に行動できたので、それは心強かったです。

近くのスーパーに行ったら、カップ麺やパンなどが全て売り切れていました。とりあえず食料を確保するために、洋菓子しか残っていなかったのですが、それを買うことにしました。避難所まで歩いて行ったので、防災グッズがあったとしても、それほどたくさんは運べなかったと思います。

現在は家族と住んでいますが、特に災害時の連絡手段や集合場所などを話し合ったことはありません。一度、大きな災害に遭っていますが、その時は何とかなったので、もし今後も災害が起こっても、何とかなると思ってしまっているかもしれません。結局、携帯電話やメールなどで連絡を取ることになると思いますが、災害伝言版は利用すると思います。中越地震のときも災害伝言版を少し利用したので、もしまた何らかの災害があれば、再び使う予定です。

家族や知り合いが行方不明にはならず、知り合いが震災で亡くなることもなかったのが、不幸中の幸いでした。地域的にも田んぼや畑が多く、農家や自家菜園をしている人が多いので、ライフラインが止まっても食糧確保はできるので、何とか生き延びられるのではないかと思っています。水だけは長期保管できるものを何本かストックしています。